堂本さん

0

    堂本さんを知ったのは92年のNHK番組が最初だったと思います
    当時私は少年隊ファンで番組を見てました

    少年隊好きでもジャニーズのグループはどうも好きではなかった
    光GENJIとかローラースケードボーイズとか
    チャラチャラしてて嫌でした
    でもそこにちびっこいのがふたりと男前が一人
    堂本さんふたりと長瀬智也ベイビーでした

    堂本さん達は実に子供でしたが
    智也は男でした
    かっこよくてかわいくて
    たまらんなぁと思っていたらTOKIOにいつのまにかタンバリンで登場
    へ~・・・・と見ていて
    SMAPもちゃらくて本当に苦手でしたが
    森君は好きでした
    そんな時宝塚が好きになった私は劇場で働きだして
    劇場に剛さんが稽古場に来て
    真面目で頑張り屋で・・・
    あのチビッ子ってちゃらくないんだ
    って思ったらなんか偏見で見ていた自分に反省してSMAPとか見ていたら
    収録終わると光GENJIとかは挨拶しないが
    他のジャニーズグル―プの子達は共演者だけじゃなく
    スタッフにも挨拶したりする子もいて
    宝塚を見に来る時のSMAPも普通の子で可愛く真面目
    へ~・・・みんなまじめなんだと思って
    その時掛け持ちのラジオ局のバイトから出る時
    堂本さんふたりといつもすれ違っていたのだが
    考えてみたら彼らはいつも疲れていた
    子供なのに可哀想なくらい・・・
    でも声をかけてくれるファンに
    「ありがとう」と笑顔をかえしたり
    光GENJIとは違うんだなぁ
    なんて思っていた時
    とある雑誌で堂本さんの仕事に対する言葉があった
    14、5歳の子供なのに
    今自分がやりたい事と求められている事は違うが
    もとめられているならそれをやっていく
    そしていつか大人になってやりたい事が出来るようになったら
    やればいいって書いてあって驚いた
    私はすでに20を超えていたが
    求められる仕事とやりたい仕事の受け止め方が私より大人だった
    それからは外見とかじゃなく彼らの仕事を見るのが楽しみになった

    何故かわからないが芸能関係に知り合いがいた私は
    彼らの裏側に出逢う事が多かった
    ジャニーズ事務所の子達は本当に真面目さんが多かったし
    ダメな子は売れないし芽も出なかったし
    グループはすぐ解散にもなった

    彼らのように笑顔をちゃんと見せれる仕事って
    素晴らしいなって思っていた時に
    私の病気は最悪になっていた
    鬱やパニックや人間恐怖症とか
    とにかく酷くて家からも出れず
    テレビも見れなかった

    でも2,3年して
    負けていく自分が嫌で
    吐きながらも家から出て音楽をやろうとしてた
    音楽の世界だけは自分を受け入れてくれるような気がして

    そんな時たまたま知り合った人が堂本さんをよく知る人で
    私に話してくれた・・・
    「剛くんも今のキミみたいに苦しんでるよ」と

    堂本さん達が好きだった私だが
    剛さんが変化し苦しむ姿に目をそむけていた
    見ている方が辛くて

    でもその人から話を聞いてから剛さんを見るようになった

    見るのは辛かった

    剛さんは自分の姿を変えたかった
    ブランド品として扱われる自分
    裏切られる自分
    生きる事が苦しくて
    人前に立ちたくない!と訴え
    髪を切り態度も荒れて
    言葉も関西の言葉をやめ・・・
    それでも人前に立たなくてはいけない責任に
    剛さんはもがいていた

    やはり見れなかった
    自分を見るようで苦しくて痛くて

    ネット上では剛さんを酷く言う言葉飛び交い
    光一さんファンが解散を訴え

    やっぱり見るんじゃなかったと思ったが
    知り合いに聞いたもうひとつの事

    光一さんは自分が剛を守ると言って現実から目を背けなかったそうです

    光一さん・・・
    そう言えば光一さんはあの剛さんの横で何をしていたかな?
    と思ってみたら
    ずっとずっとずっと笑ってたんです
    深い深い闇に沈んだ人間の落ちる心は
    まわりも巻き込むんです
    だけど光一さんは笑ってました

    そして剛さんを待っていた
    笑顔でただずっと剛さんが大丈夫になるのを待っていた

    その事に心が打たれたんです
    闇に落ちてる人間が闘うよりも
    まわりの人間ってそれ以上に闘っているんだって
    私の家族や友人が正気に戻った私を見て半年以上たってから泣きました
    「見てる方が辛かったよ」って
    昔のインタビューで光一さんは人前が苦手で話すのも苦手と言っていた
    だから私が見ていた頃は剛さんが常に前に立ち喋っていたのに
    今は光一さんが前に立っている

    それは光一さんの闘いだったらしい
    KinKiはふたりしかいない
    だからどちらかが倒れたらどちらかが助けるしかない
    剛さんを支えられるのは自分しかいない
    KinKiを守れるのは自分しかいない

    だから光一さんは苦手な司会業もやるようになった
    お笑いが苦手なのに剛さんの笑顔のためにもおちゃらけて
    舞台も一緒にやりたいと言ってみたが
    まぁそれは叶わなかったが
    光一さんは剛さんが音楽に飛び立つときも
    迷子のように見た目を変化させて
    ステージ上でタバコ吸ったりするのも見守っていた

    そして剛さんは人間不信になって誰も信じられなくなったが
    相方の光一さんだけは信じられた
    そんな結びつきが今のふたりの音楽を作っていった

    私はうつ病の酷い時に光一さんの初ソロコンサートに横浜まで行った
    電車に乗るだけでも人がいっぱいいて嫌だったのに
    まわりを見ないように深く帽子をかぶって会場に入って
    コンサートを見た

    ふたりでやってきてソロ活動する意味があまりにもKinKiには大きかった
    コンの題に『1/2』とつけた光一さんの想いも深かったし
    何よりもあんなに重い病気の剛さんを支え
    なお自分の舞台を成功させて
    ソロをやってみせながらも
    剛さんの曲をソロコンサートで出して歌ってみせた
    光一さんの愛情の深さにやられた

    コンを見て泣いたことは無いが
    剛さんのソロと光一さんのソロでは泣きました

    部屋から出るのも厳しいのに注射打ちながらもステージに立ってる剛くんとそれを横で見ても笑顔でいる光一くんの強さに負けちゃダメ

    そんなようなことを知り合いに言われた
    だから私は音楽を続けられたんだ

    剛さんが病気中
    多くを語らない
    語りがらない光一さんが語った記事を友人に送ってもらったのをずっと大切にしています

    辛さがわからない苦しみから目をそむけず
    病気を調べてどうしてあげればいいかを自分なりにみつけ
    ただ心配するでなく笑顔でいる事を決めた光一さんの決意

    剛さんの闘いでみつけた音

    私はやっぱり好きだし
    尊敬しているし
    私を闇から救ってくれた人たちだと思ってます

    話がぐちゃぐちゃですが・・・
    とにかく私は仕事人間が好きだって事です(笑

    何をしてもどんな意味がなくても
    自分の仕事を受け入れて未来につなげる力のある人が好きだって事

    語りつくせない愛がKinKiにつまってますw

    堂本さん達がsのような人生をおくらず
    普通にアイドル業を専念していたら
    ここまで好きになっていなかっただろうし
    私があんな事件や病気にならなければ
    ふたりの痛みもここまで感じなかったでしょう

    光一さんは昔ふたりで作った曲
    『愛のかたまり』が出た頃
    剛は愛のかたまりだとおっしゃったが
    私にとってはふたりの存在こそが
    愛のかたまりだと思ってます

    存在してくれてありがとう

    ちなみに・・・
    未だKinKiファンだというと
    「あぁあんなアイドルが好きなのね」と言われるとカチンときます
    見た目で好きになったわけでもない

    が、他人は知らない訳だから
    カチンとこない自分になりたいと思ってます。


    おしまい


    闘い

    0

      幼児期は何も疑う事無く素直に生きてきた
      小学生になる前に東京へ引越してきて
      幼稚園途中入園することなく
      両親共に働きに出て
      私は一人毎日三輪車で家の前を一人で散歩していた
      親から私が働きに行っていいよと言われたから
      一人置いて出て行ったと言われるが
      そんな事は覚えていない
      自分の発言なのだろうが
      結構寂しかった

      幼稚園バスから帰ってくる子供たち
      母親と手を繋いで歩くみんな

      なんで私はひとりなんだろう
      そうずっと思っていた

      小学校に上がって教室にお友達が出来た事が嬉しかった
      でも大きくなってから知ったのだが
      共働きの家の子供は学童というところに入っていたらしい
      が、私はひとり家に帰って留守番していた

      つまらないから友達の家や
      マンションの管理人さんの家に行ったりしていた
      そのうち学校の裏に児童館っていうのがあることを知り
      行くようになったりしたが
      みんなはお母さんに怒られるからと帰って行ったりして

      本当は私はさびしがりなのかもしれないなぁと
      あの頃を振り返ると想ったりする
      そんな私は人が大好きで人を疑う事を知らなかった

      事件は小学校二年生の時に起こった

      あの事件は今もトラウマにはなっている
      だが、最近テレビでそんな場面や事件聞いても
      震えなくなったし吐かなくなった
      40になって・・・やっとだ
      いや、もしかしたら娘が出来たから心が強くなったのかも

      男の人は今も苦手だし
      男って生き物を主張されると
      恐怖に感じるし気持ちが悪い時もあるが
      やっぱり人間好きには変わりはない
      愛されたいから愛する訳ではないが
      やっぱり嫌われたくないから
      人を想ったりする
      『好き』と笑顔でいれば『嫌』と思われないかなと

      親の浮気現場見たり
      襲われそうになる事は一度や二度じゃない
      裏切られたのも
      お金や物を奪われたのも
      見捨てられたのも
      数少ないとは言えない

      19歳の時に死と云う事に絶望と罪で押しつぶされて
      心が無くなった時もあった
      二年間笑う事も泣くことも怒ることも
      悲しむ事も食べて美味しいという事も
      全て失って何も記憶が無くなったけど

      日常に生きれる自分って事に
      当たり前じゃない幸せを感じれたんだ

      呼吸しながら歩いて
      空を見上げてキレイだななんて顔がほころぶ
      そんな事が本当に幸せだって

      友人と話して笑えた自分に友人と二人で泣いた
      私はまだ声が出せる
      笑えるんだって

      色んな罪も私は背負っているだろう

      それでも生きれる自分がいる感謝
      人との繋がりで笑顔の訳を知れた
      泣ける有難みを知った
      怒れる相手がいる感情が幸せだと知れた

      沢山沢山闇を見て
      長い長い泥沼を歩いて立ち止まってきたけど
      それが私なんだ
      そう思うし
      占いで言われたとうり
      そんな私だから今。娘に出逢えたのだろう

      何度も子供は諦めた
      歌うため愛する人のため子供のため
      結婚も出産もあきらめてきたのに
      お腹に飛び込んできてくれた娘


      そんな娘の事は次に話しますが

      幼児期に人に襲われ
      不必要な人形のように捨てられ
      ダメな人間だと言われ
      頭のおかしな娘だと言われ
      人の命を奪い
      愛に裏切られ
      愛を捨てられて
      お金をだまし取られ
      病院からも見捨てられ
      精神病院に入れられて
      うつ病、パニック障害、人間恐怖症になり
      部屋から出られなくなり
      気づくと血だらけになっていて
      地にたどりつくことも出来ず
      苦しかったけど

      音楽が光りをくれた

      唄おう
      そう思って闘って
      吐きながらも外へ出た

      人は何度も倒れるが
      何度でも立ち上がれるし
      青い空を見上げられる

      その想いで私は歌に生きる事にした・・・。


      0
        男性恐怖症の私が初めて恋したのは
        小学校1年生の時
        近所に住む姉の友達の弟
        その子は私の同級生

        背はちびっこいのに心が強く
        ただ真っ直ぐ前を向いているように思えた
        一緒に遊べる時間が楽しかった私に
        あの事件が起きた
        家族にも友達にも絶対にばれてはいけない出来事
        身体中が気持ちわくる
        お腹の中がいつまでも異物感に襲われ
        恐怖と痛みに引き千切られそうだった

        でも

        私は家族や友達に愛されていたかったから
        あの事件は自分の中だけにしまって
        とにかく笑ってた
        必死に笑って笑って皆の中にいた
        幼い私の初めての闘いだっただろう
        自分との闘いは苦しかった
        そんな時
        初恋の相手がなんの話をしている時だったかは覚えてないが
        父親を亡くしたばかりの彼が
        「家族に中に男は自分だけだから、絶対に強くなるんだ」
        そう言った

        小さいのに守ろうという強い心を感じたんだ
        その強さに惹かれて私は自分の闘いも頑張ろうと想えた
        彼は私の中でHEROだった
        本人は覚えていないだろうが
        泣いてる私の横で何もいわずに座っててくれたり
        一緒に遊んでいるとひやかす子もいて
        私が泣くと怒ってくれたり

        いっつも真っ直ぐな眼差しで未来を見ているような人だった
        そんな人に嫌われたくないし
        私は自分が不必要な玩具ではないと思いたかったから
        どうしようかと悩んでいた時
        松田聖子さんをテレビで見た
        キラキラしたステージで綺麗な声で歌う人

        今までもピンクレディーが好きだったりもしたが
        松田聖子さんは特別だった
        弱そうな表情を見せるのに心が真っ直ぐで
        歌への想いが伝わったのかもしれない

        私は松田聖子さんのようにキラキラした人になろう
        そう思ったのでした

        初恋の人をずっと好きだったが
        まだキラキラなれない自分がいたから
        告白もただ想いを伝えるだけで終わってしまったが
        9年間の片想いは初恋にしては長く
        そして幼いながらも真剣にだった

        そんな初恋が終わって次に出逢ったのは
        これは本当に重い愛でした
        結局彼を本気で諦められたのは
        まるまる18年かかってしまった

        その彼とは恋人同士にはなれなかったが
        深い罪をふたりで背負った
        彼に何度「自分を殺してくれ」って言われたか

        苦しかった

        互いに愛していたのに一緒になる勇気がなかった
        すれ違いばかりくりかえして・・・
        ひと目から隠れて手を繋いで歩いて

        その彼と結婚をあきらめてから
        私は結婚はしないと決めた
        彼との罪で心もボロボロ

        だけど10年くらいしてから彼の友達に言われた
        「お前頼むから誰かと結婚してくれ」って
        話を聞くと私が誰かと幸せになるまで
        自分が誰かと一緒になる事は出来ないって
        ずっと独身でしたから
        彼女さんがずっと苦しんでいたらしくて
        私はあわてて結婚しようとした
        相手なんてどうでもよかった
        誰でもいいから結婚しなきゃって
        舞台研修生だったのにやめて彼氏を作ったけど
        結局失敗

        そんな失敗を繰り返してくうちに15年がすぎて
        彼は結婚したらしいと聞いた

        ホッとした私はやっと本当の自分になれた気がしたけど
        やっぱり誰とも結婚しないって思った

        光一さんとの仕事さえきまれば
        仕事が子育てと思って生きていけるって
        そう思っていたから・・・

        でも娘は私のお腹に来てくれたんだよね

        結局色々な嘘が重なって娘パパとは縁はなかったようだが
        お腹の子供は成長します

        始めは双子ちゃんだった胎児も
        ひとりになり寂しそうに私の筋腫にしがみ付くようにしていた
        胎児の時から甘えん坊なのねって言われていた子
        双子ちゃん片割れいなくなって本当に寂しそうに
        お腹から早く出たいと娘は暴れていた

        線維筋痛症の私は普通分娩では
        産後は赤ちゃん抱っこ出来ない体になるかもって言われていた

        出産で悪化するから仕方がないが
        恐怖だったし誰もいない病室でずっとずっと泣いてた
        誰も認めてくれない赤ちゃんを産んで
        抱っこも出来ない体になって
        パパもいないで・・・どうしたらいいのだろうって

        お金も無いし
        働く場所もないし
        もしかしたら立てない体になるかもなのに
        無痛分娩に失敗して普通分娩になり
        パニック寸前で娘が誕生
        でっかく生まれた娘を触れて顔が見れて
        私は赤ちゃんと自分の体と病院スタッフに感謝していた

        どうしてもビデオ撮ってほしいとお願いして撮影してくれた見習いさん達
        涙目で「ちゃんと撮れました!感動しました!嬉しいです!」って言ってた

        産後も歩けた自分に負けるな負けるなって応援しながら
        赤ちゃんに逢いに行った

        私は歩ける
        抱っこも出来る

        やろうと思った

        道を終わらせたらダメだ
        諦めたらダメだって必死に自分を追い立てて
        赤ちゃんの事でまだ家族ともめていたから
        実家から出て小さな家で
        娘パパを信じて暮らしてたけど
        線維筋痛症はそんなに甘くなかった
        赤ちゃんとふたりで寝ていると
        起きようとしても金縛りのように指一本も動かせなくて
        赤ちゃん泣いているのに動けないし誰もいない恐怖

        必死に動かした身体は内出血を起こして筋肉の筋が切れた

        その頃夜泣きも酷くて抱っこして夜な夜な歩くけど
        外は寒いし身体は痛いし赤ちゃんは泣くし
        自分も涙とまらなかった
        もしあのまま体が動かなかったら・・・・って
        辛くてパパに電話すると酷い言葉しか返ってこなかった

        自分が選んだ道だ
        弱音ははけない
        そう思っていた

        でも限界だった

        どこの病院に行っても診てももらえないし
        貯金も無くなって謝金生活になっていたし
        区に相談しても生活保護願いだしても
        難病指定ないけどどうにかならないかと何度も聞いても
        保育園いれてほしいとお願いしても
        全部ダメで
        パパは来なくなり
        身体はほとんど動かず
        死のうかなって思った
        ひとりでは闘えない
        そう思ったから何度も考えたけど
        娘は必死に生まれてきてくれた
        私の指を握って笑顔をくれた

        逃げるなんて出来なかった

        まだやれる
        絶対にあきらめない!

        私は親に頭をさげて実家に帰らせてもらった
        知り合いにも頭をさげて歩いて仕事をもらって
        保育園はいれるように書類も書いてもらった
        人はやっぱりひとりじゃ生きれないね

        早産で入院生活していた時同じ部屋にいた人は
        1か月ちょい一緒に生活しただけの私に毎日のように連絡くれた
        「困ったら連絡して!」「愚痴でいいから連絡して!」って

        娘が出来たことで私は色んな窓を開いた
        今までは必死に音楽をやろう
        誰かのため何かのため
        なんて思っていたのが
        娘が出来てからの出来事で
        人とのかかわりが変わって
        甘える事は前に向かうためのひとつの出来事にすぎない
        普通の事なんだって思ったし
        も誰かのためにするんじゃない
        自分の笑顔があって人が聴いてくれるんだって軽く思えたし
        人との時間を共有するのっていいかもって・・・思えた

        笑顔の訳は考えて生きてきたし
        人は大事で大切だとおもわかっていたが
        人と何かをしたら組んだり一緒に行動したりってのが
        出来なかったのに
        今はなんとか普通にこなせます

        娘が生まれるまでもたくさんの経験をしてきたが
        私に足りないものを娘は届けに来てくれて
        感じさせてくれる出会いだったんだと想えた

        最近タクシーの運転手さんに
        「今日はパパは一緒じゃないの?」と娘が聞かれて
        なんて答えるのかなって思っていたら
        当たり前のように普通に
        「むっちゃんにはパパはいないよ」と答えた

        あぁ親って考えすぎちゃってるのかもなって思った
        親として父親がいないって可哀想だって思ってしたけど
        それが普通の家ならば
        それなりに子供は育つんだって教えてもらったし
        他のパパたちを見ても
        「パパほしい」とは言わない娘が私をギュッと抱きしめに来てくれて
        「ママ大好きっ!」ってチューしてくれた

        あぁ
        愛情を深く強くもらっているのは親の方なんだって実感した
        お腹の中で寂しがり屋さんで
        今でも誰かに触れてないとダメな子だけど
        それだけ愛を持っているからなんだって
        ママに見せてくれてる


        人に傷つけられて
        沢山辛かったけど
        どんな恋愛よりもどんな彼氏よりも
        娘が一番恋しくて
        誰よりも愛を教えてくれました

        これからは一緒に沢山の愛と出逢って楽しくいこうね

        夢は無理かな…

        0
          どうして私がこの自分語りブログを作ったかと言うと
          自分に弱気になったからだ…

          過去の自分を書き出して文字としてみると
          なんか勇気が出てくるのだ

          こんなに頑張ってきた自分がいるんだからこれくらい何でもない!何とかなるなる!ってね。

          娘を見ると幻かな?と思うくらいいまだに不思議
          こんなかわいい子供を私が産んだのか?って…
          顔とかじゃなくね、病気ばかりしてる
          私にこんな素晴らしい子供?
          運が悪い私に子供?本当に?


          時々急にスイッチが入るんだよね
          「こんな私が…」って

          情けないよね
          しっかり自分を立て直したつもりでも
          まだ自分を信じれてない

          借金まみれでさ…
          この前なんか娘に会社の買い物に一緒に行ったら
          「ママ…お金出来たの?焼き芋買える?」って聞かれてしまった

          給料までお金無くて2週間くらい1,000円だけで生活するために

          娘に「お金が無いから買えないよ」と言い続けたから
          「ママ…早くお金出来るといいね?」って毎日言われて
          買い物先でさつまいも1本だけなら買えると言ったら

          買い物カゴにも入れないで大事に抱えて…

          苦労させたくないのに
          私、情けないなぁって思った

          悔しいけどお金はない
          でも娘と好きに楽しく生きたいから
          色々やってるが…限界ってあるね

          身体が痛いのも今月だけと思っていたのに翌月も痛みが出て
          息も吸えないくらい激痛な時思ったんだぁ

          自分の夢をそろそろちゃんと現実として受け止めて考え直さなきゃなって

          やはりこの病気では音楽は無理だろう

          痛みだけでも辛いのにメニエールの目眩や耳鳴りも酷くなって
          低音が聴こえない…

          自分の声が頭に響く

          歌を趣味ならやれるだろうが
          舞台に立つなど不可能だ
          1日だけなら調整もきくが何にもでは
          絶対大丈夫な保証が私の身体にはない
          痛いだけなら何とかなるかもしれない
          でもまっすぐ立つ事も息も吸えないなんて…無理だ

          ずっと不必要になったオモチャでいたくないから音楽の世界を夢見てきたけど

          ダメだね

          と、思ったら悲しくて悲しくて

          自分を頑張らすためにこのブログ作った

          まだ歌いたい気持ちは変わらないけど

          ミュージカルは難しいね
          あきらめるなんて嫌いだけど

          病気と闘う時間も治す時間も私には難しい
          働かなきゃいけないし子育ては私の役目だ
          仕方ないよね

          私の出来る範囲でやっていくよ
          それが私だから…

          このブログ見ながらまた自分と相談しよっと…

          1

          calendar

          S M T W T F S
            12345
          6789101112
          13141516171819
          20212223242526
          2728293031  
          << May 2012 >>

          selected entries

          categories

          archives

          recommend

          links

          profile

          書いた記事数:4 最後に更新した日:2012/02/28

          search this site.

          others

          mobile

          qrcode

          powered

          無料ブログ作成サービス JUGEM